第28回 問題137

第28回 問題137 日本の児童福祉の歴史に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 恤救規則では、15歳以下の幼者について、人民相互の情宜に頼らず、国家が対応すると規定した。
2 石井十次は、イギリスのベヴァリッジ(Beveridge, W.)の活動に影響を受けて岡山孤児院を設立した。
3 工場法では、18歳未満の者の労働時間を制限することを規定した。
4 児童虐待防止に関する最初の法律は、第二次世界大戦前につくられた。
5 児童憲章は、児童の権利に関するジュネーブ宣言を受けて制定された。

選択肢1について

明治時代における救貧制度の代表的なものとしてあげられるのが、1874(明治7)年の恤救規則である。これは、その前文に「済貧恤救ハ人民相互ノ情誼ニ因テ」と明記されているように、人々の生活上の困難に対しては人民が互いの情をもって助け合うことが最優先であり、そのことが期待できず、すてておくことができない場合にのみ国家が救済するというもので、わが国の封建時代からの親族相救、隣保相扶による救済を前提としていた。

(社会福祉士養成講座編集委員会編『新・社会福祉士養成講座15 児童や家庭に対する支援と児童・家庭福祉制度』、第4版、中央法規出版(2013)、p.51)

選択肢1は誤りです。

選択肢2について

児童福祉施設では、孤児および棄児のための施設として、(中略)1887(明治20)年石井十次の岡山孤児院(中略)等がある。特に石井十次は、無制限収容主義を唱え1200人もの児童を入所させるまでの施設をつくったが、小舎制の採用、里親委託の導入など今日でもそのまま通用する先駆的な児童養護実践を行っていた。

(同、p.52)

ウィリアム・ヘンリー・ベヴァリッジ(William Henry Beveridge、1879年3月5日 – 1963年3月16日)は、イギリスの経済学者、政治家。

(ウィリアム・ベヴァリッジ、Wikipedia日本語版、https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・ベヴァリッジ

石井十次が岡山孤児院を作ったのが1887年で、ベヴァリッジはそのとき8歳ですから、石井十次に影響を与えたとは考えられません。ベヴァリッジが何年生まれかまでは覚えていなくても、ベヴァリッジ報告が1942年だということを覚えていれば、石井十次とは活躍した時代が違うことがわかると思います。選択肢2は誤りです。

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選択肢3について
工場法では女子および15歳未満の児童の深夜労働は禁止されていましたが、18歳未満の者の労働時間を制限するという規定はなかったようです。選択肢3は誤りです。

選択肢4について

我が国では、昭和8年、経済恐慌や凶作の中、児童が家計を助けるための道具として扱われたことなどを背景として旧児童虐待防止法が制定されていたが、同法は昭和22年に制定された児童福祉法(昭和22年法律第164号)に内容が引き継がれ廃止された。

(児童虐待の防止等に関する政策評価 前書き、総務省、平成24年1月、総務省ホームページ、http://www.soumu.go.jp/main_content/000142659.pdf

選択肢4は正しいです。

選択肢5について

1951(昭和26)年に制定された児童憲章は、それより以前に公布された児童福祉法が法的規範であるのに対して、国民の道義的規範として位置づけられている

(社会福祉士養成講座編集委員会編『新・社会福祉士養成講座15 児童や家庭に対する支援と児童・家庭福祉制度』、第4版、中央法規出版(2013)、p.35)

児童の権利に関するジュネーブ宣言が国際連盟で採択されたのが1924年で、日本で児童憲章が制定されたのが1951年と、前後関係としては合っていますが、児童憲章は児童福祉法とセットで考えたほうがよいです。選択肢5は誤りです。

第28回国家試験 問題137(児童・家庭支援と児童・家庭福祉制度)
正答4
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