イギリスの福祉制度の歴史を学ぶとき最初に出てくるのが、エリザベス救貧法です。
もともと、救貧は教会の慈善事業でした。その後、宗教改革によって安易な救貧が批判されたことや、修道院解散があったことにより、教会による慈善事業は縮小していき、困窮した貧民は浮浪者となって暴動を起こすようになりました。このような経緯から、行政による救貧制度が求められるようになりました。
(このあたりの物語はWikipedia日本語版に詳しく書いてあります。)
近年の国家試験ではあまり出題されていませんが(新救貧法のほうが出ています)、歴史を学ぶには順を追って見ていったほうがわかりやすいので、まずはエリザベス救貧法について知っておきましょう。
1601年のエリザベス救貧法では貧民が労働能力の有無によって有能貧民、無能貧民および児童と分類された。貧民はこの法によって救済されるのではなく、有能貧民は労働の義務を負わされた。そして、就労命令に違反すると、犯罪者として刑罰の対象となった。
(社会福祉士養成講座編集委員会編『新・社会福祉士養成講座6 相談援助の基盤と専門職』、第2版、中央法規出版(2013)、p.45)
日本では関ヶ原の戦いが1600年で、1603年に江戸幕府が立った、それくらいの時代です。
エリザベス救貧法の特徴は2つあります。1つは、それまで地方ごとにばらばらに取り組まれていた救貧対策を、国が取り組むようにしたこと(中央集権的な政策だったこと)。もう1つは、貧民を「有能貧民」「無能貧民」「児童」に分けて対応したことでした。
エリザベス救貧法は、貧困救済施策というよりは、治安維持施策の側面が強いものでした。貧民を放置しておくと、強盗や窃盗など犯罪にはしって治安が悪くなるので、
・働ける者は強制的に働かせ(働けるのに働かない者は処罰し)
・働けない者は(しかたないので)扶養し
・児童は徒弟奉公に行かせれば
みんなとりあえず食べていけるようになって世の中が落ち着くよね!という発想です。
(国家試験での出題)
22-023(選択肢1)