イギリスでは1601年にエリザベス救貧法が発布され、国家として貧困対策に取り組み始めました。
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約230年後の1834年、エリザベス救貧法が改正され、いわゆる新救貧法(改正救貧法)となりました。1800年代の産業革命により、工業が急速に発展し、都市化が進み、それまでの救貧法では対応しきれなくなったためと言われています。
新救貧法では救貧委員会が設置され、ワークハウス等の救貧施設を運営し、救済申請者と面接をして救済の決定にあたった。そして、①救済は全国的に統一した方法でなされること、②有能な貧民の居宅保護を禁止し、ワークハウスで救済すること、③すべての救済を実質的にも外見的にも最下級の労働者の生活条件以下におさえることが定められた。
(社会福祉士養成講座編集委員会編『新・社会福祉士養成講座6 相談援助の基盤と専門職』、第2版、中央法規出版(2013)、p.46)
①は均等処遇(均一処遇)の原則、②は労役場使役(院内救貧)の原則、③は劣等処遇の原則、と言われることもあります。
中央集権的に院内救貧をしていたエリザベス救貧法ができたのち、多少の法改正によって院外救済をしていた時代もあったのですが、新救貧法となったときには再び中央集権的な院内救貧政策になりました。
新救貧法は福祉費用の削減のためにできたような法律で、新救貧法によって貧民への給付は少なくなり、福祉費用は狙い通り抑えることができたようです。ところが、お金をかけなくなったので当然ながら救貧施設の環境は悪化し、貧民はますます困窮したとのことなので、救貧政策として効果があったかは疑問です。
(国家試験での出題)
28-024(選択肢1)、27-033(選択肢1)、22-023(選択肢2)